宗祖日蓮大聖人御会式
先日無事に七七四遠忌、日蓮聖人の御命日法要(御会式:おえしき)を
圓成致しました。
日蓮聖人は晩年(弘安5年:1282年)、体調悪化により山梨県身延山(現本山)より常陸国へと湯治へ向かう最中、武蔵国(現東京池上)の池上宗仲の屋敷に立ち寄ります。
同年10月13日その池上邸にて61歳にてお亡くなりになります。
宗祖御入滅の折り、庭には季節外れの桜が咲き乱れたことから、この御会式では堂内外に桜の花飾りを施して宗祖への報恩法要を奉行するのです。
当山では、篤信のお檀家様が毎年この花飾りを作成下さっております。そのまま翌年の釈迦降誕会(花祭り法要)まで堂内にお飾りしさせて頂いております。

現代に於いて、「妙法蓮華経」(以降、法華経と略)を用いて
❶故人の供養が出来る事、
❷今を生きる私たちの祈願が出来る事
❸経典に説示された教えに触れられること
は経典中に「川の砂を手で掬い、その後、爪に残る砂の数ほど少ない機会である」
と説かれます。
実はこの法華経、日本で初めて伝わった仏教経典で、
かの有名な聖徳太子はこれを基に公平平等性を尊重した「十七条憲法」(日本初の憲法)を制定されます。
その教えは
●生きとし生ける者全てが成仏できる平等大慧の教え(二箇の諫暁)
→法華経以前の経典では説示されてこなかった女性の成仏、悪人の成仏
→畜生道に身を置くペットや小動物の諫暁
が説示されることが他経典に見受けられない特徴です。
その為、古来「大奥」の女性陣が将軍家の宗派と違っても時の権力者の弾圧から守り続けて来られた歴史が御座います。↓画像は徳川家康側室「お万の方(養珠院)」

●そして、表題の通り現実を強く生きる為の教え
→妙法蓮華経(サッダルマプンダリーカスートラ:サンスクリット語)
即ち「白蓮華の如き正しい教え」と訳せます。
白蓮華は、穢れた泥の中に身を置きつつも、その逆境に穢れることなく、泥をはじき、純白な大輪を咲かせます。
人生もまた同じく、苦しい事が多々あっても、決して逃げ出さず前向きに生きていくことが大切なのです。
日蓮聖人は末法の世(釈迦入滅後遠く時間が過ぎた世)ではこの教えを布教しなくてはならないと、経典中より読み取り、実践されました。
それはなぜか、
同時期に「念仏」が広く布教されますが、この教えは「念仏を心に口に唱えると死後速やかに仏様が浄土へ迎えて下さる」といったものでした。
すると、人々の機根が弱っている末法の世において、生かさず殺さずの生活を強いられる民衆の自死が多く見受けられたのでした。
この為、日蓮聖人は他の諸宗をきつく咎め、現実に背を向けない法華経を時の政権に逆らってまで布教されたのです。
このため、聖人は教科書中には「過激派」とも記され、幾度となく「流罪」にも処されております。
しかしながら後年その功績が称えられ日本国天皇より「立正大師」(大師号)を授けられるのです。
さて話は多岐に及びましたが、今日私たちの側に「南無妙法蓮華経」があることは偏に宗祖日蓮大聖人の死身弘法のお陰様であり、その後、弟子、女性陣とその意思を継いだ人々の賜物であります。
今年は大東亜戦争終戦80年であり、「今とは先人が命がけで守り抜いた未来」です。
これと同様に、今私たちが数千年の時を得てなお、「法華経」に触れる事ができる事に感謝し、宗派問わずお参りの際は、観音様、乃至は日蓮聖人像へ手を合わせていただけましたら幸いでございます。拝





